親鸞聖人90年間の教えを紹介します。
更に親鸞珍しき法をも弘めず如来の教法をわれも信じ人にも教え聞かしむるばかりなり。
親鸞聖人の教えを漢字4字で表された言葉。人生の大事業が、平生生きている時、完成できる。だから早く完成しなさいよ。
大宇宙の仏方の先生である阿弥陀如来がなされているお約束
1生かされて往く。2往って生まれる。
阿弥陀仏の救いは、この世と未来の二度あること。
信心一つで救われる
親鸞聖人の教えのすべてが書かれている教行信証に何が書かれているかというと三重廃立。三つの捨てものと拾いもの
親鸞聖人の教えの根基。阿弥陀仏の三願によって救われた
この世で完全な救いにあずかる
肉体を失わずして救われる
1173年 親鸞聖人京都にご誕生(平安時代末期)
9歳 出家し、仏門に入る。
29歳 弥陀の誓願によって人生の目的達成される。
31歳 それまでの仏教の形式を破り、肉食し、妻帯する。
35歳 越後(新潟)へ流刑にあう。
60歳すぎ 関東から京都へ帰られる
1262年 90歳で入滅
Q
浄土真宗の祖師・親鸞聖人ってどんな方ですか?
A
親鸞聖人は今から約八百年前(平安末期)、京都にお生まれになりました。
四歳で父君、八歳で母君と死別され、世の無常に驚かれた親鸞聖人は、
九歳で出家を志し、比叡山天台宗の僧侶となられます。
しかし、二十九歳の時、二十年間の天台・法華の教えに絶望なされ、下山を決意。
同じ年、京都・吉水の法然上人から教えを受け、信心決定(阿弥陀如来の本願に救い摂られること)なされました。
以後、九十歳でお亡くなりになるまで、すべての人が幸福になれるたった一本の道、弥陀の本願一つを説き続けられたのです。
今日、世界の光と多くの方から仰がれています。
Q
浄土真宗は、よく鎌倉新仏教といわれますが、親鸞聖人が新しく作られた教えなのですか?
A
「更に親鸞珍らしき法をも弘めず、如来の教法をわれも信じ人にも教え聞かしむるばかりなり」が、
親鸞聖人の常の仰せでした。
珍しき法とは、今までだれも教えなかった教え。
如来の教法とはお釈迦さまが説かれた仏教のことです。
「親鸞は、今までだれも説かなかった新しい教えを説いているのではありません。
お釈迦さまの説かれた仏教を私も信じ、皆さんにもお伝えしているだけなのです」
と明言されています。
親鸞聖人の教えといっても、仏教以外にはないことがお分かりでしょう。
Q
親鸞聖人の教えは、何に書かれていますか?
A
親鸞聖人九十年の教えは、すべて『教行信証』に書かれています。
正式名称を『顕浄土真実教行証文類』といい、
浄土真宗の「根本聖典」とか「御本典」といわれます。
聖人五十二歳ごろの成立といわれますが、その後も常に手元に置かれ、生涯、加筆修正された畢生の大著です。
今日、親鸞聖人といえば『歎異鈔』を思い浮かべる人が少なくありませんが、
『歎異鈔』は著者不明で、聖人がじかに書かれたものではありません。
ですから浄土真宗の教えを正確に知るには、あくまで『教行信証』をものさしとしなければなりません。
Q
『教行信証』には、どんなことが書かれていますか?
A
『教行信証』は、「よろこばしきかな」で始まり、「よろこばしきかな」のお言葉で終わっています。
弥陀の誓願に救い摂られた聖人の、書いても書いても書き尽くせない喜びがあふれています。
文芸評論家の亀井勝一郎氏も、「『教行信証』全巻には大歓喜の声が響きわたっている」と驚嘆しています。
そのほか、『教行信証』を称賛する声は枚挙にいとまがありません。
親鸞聖人のお言葉には、大変な魅力、摩訶不思議な力がありますから、時空を超えて、多くの人が、『教行信証』に魅了されるのでしょう。
Q
『教行信証』は何巻あるのですか?
A
『教行信証」は、「教巻」「行巻」「信巻」「証巻」「真仏土巻」「化身土巻」の六巻から構成されています。
「教巻」から「真仏土巻」までの五巻は、阿弥陀仏に救われた世界(これを信後という)が書かれてあり、最後の「化身土巻」には、救われるまでの道程(これを信前という)が書かれています。
親鸞聖人が『教行信証』で繰り返し自らの歓喜をうたい上げられているのは、「皆の人よ、どうか親鸞と同じ喜びの身に救われてくれよ」の御心ただ一つです。
『教行信証』のほかにも、親鸞聖人にはたくさんの著作がありますが、筆を執られた目的は、皆同じです。
Q
親鸞聖人の『教行信証』の特徴は?
A
『教行信証』を一読して、だれもが驚くのは、その引用文の多さです。
書名に「文類」とあるように、「私釈」といわれる聖人の作文は少なく、そのほとんどが、経、論、釈の引用です。
経とは、釈尊の説かれた一切経。
論とは、龍樹、天親など、菩薩といわれる方が書かれたもの。
釈とは、善導大師や法然上人などの高僧方の書物をいいます。
「文類」とは、それら古今のお聖教(仏教の書物)から要の文を集めたものということです。
「親鸞さらに私なし」が聖人の常の仰せでしたが、いかに私見(自分の考え)を交えず、正確に釈迦の真意を明らかにされたかがお分かりでしょう。